作品紹介(きらら)

【作品紹介】第17回「またぞろ。」(著者:幌田)

作品概要

❝…そりゃあ仕方ないですよ 二週目なんですから❞
(引用/幌田.『またぞろ。』第1巻.芳文社.2021年.9頁)

『またぞろ。』は、著者である幌田氏による4コマ漫画作品です。(全3巻)

『まんがタイムきららキャラット』(芳文社)にて、2019年12月号、2020年2月号・4月号・6月号でのゲスト掲載の後、2023年9月号まで連載されていました。

本作品は、様々な理由から留年を選択し2回目の高校一年生となった3人の少女と留年予備軍である1人の少女が送る日常を描いた作品です。

「高校の留年生」というデリケートな要素を主題に据えたきらら作品としては挑戦的な作品で、留年事情を取り巻く「生々しさ」ときらら作品らしい「温かさ」を併せ持った独特な雰囲気が特徴です。

ここでは、本作品の魅力を感想・考察を交えつつ紹介していきたいと思います。



あらすじ

留年生×3が送る人間へたくそ青春コメディ。

約1年間引きこもりだった殊は、春から2回目の高校一年生。
病弱で同じく留年生の詩季、奔放でこれまた留年生の巴、 マイペースで遅刻癖の留年予備軍・楓とともに送るスクールライフは、 普通とはちょっと違ってちょっとイイ。

引用:http://www.dokidokivisual.com/comics/book/past.php?cid=1695/2023年11月7日閲覧



主な登場人物

穂波 殊(ほなみ こと)
❝いいですか留年生というのは世界で一番繊細な生き物なんです むやみに刺激を与えないで!❞
(引用/幌田.『またぞろ。』第1巻.芳文社.2021年.10頁)

本作品の主人公。不登校が原因で高校を「留年」しており2度目の高校1年生を送るところから物語は始まります。

後に紹介する留年仲間と比較しても留年したことを人一倍気にしており学校内でもかつての同級生の目に怯えるなど自意識過剰気味です。

不登校中は自宅内で過ごしていたことが多かったせいか体が鈍っており教室の敷居でつまずく様子も見られるほか、2度目に迎える入学式では遅刻した挙句に提出物を忘れ昨年度の上履きのまま登校するなど注意力も散漫で本人曰く「人間が下手くそ」

上記のようなこともあってか自己肯定感が低く発言も自虐的なものが多いです。

そんな彼女ですが幼少期は「天使ちゃん」と称されるほどに天真爛漫な少女でした。しかし幸か不幸か彼女に憧れを抱いた友人によって学校だけではなく私生活の世話まで焼き続けてもらった結果、生活能力が著しく減少することになります。

高校入学を目前にしてようやく危機感を持ったのか友人を前に自立することを誓い別々の高校へ進学して再出発を決意したのもつかの間、その生活能力の低さから遅刻や忘れ物を繰り返し理想との乖離感と友人への後ろめたさから不登校になってしまった過去があります。

広幡 詩季(ひろはた しき)
❝何でもいきなりは良くはならないんだよ少しずつでいいの
(引用/幌田.『またぞろ。』第1巻.芳文社.2021年.32頁)

殊のクラスメイトで彼女の留年仲間のうちの一人。持病のため入院を繰り返しており出席日数不足から留年を選択することになったという経緯があります。

物語開始時点で容態は回復し通常の学校生活を送れるようになっており同じ留年生である殊たちと行動を共にします。

思いやりのある性格で今の自分があるのはこれまで優しく接してくれた友人や家族のおかげと語る人格者であり、校内の廊下にこぼれていた飲料水を誰に言われるでもなく自ら拭き取る様子から殊たちに「本当に人間か?」と冗談交じりに呟かれるほど。

上記に加えて面倒見もよく、生活能力の低い殊のために学校での予定を管理するほかモーニングコールの役割を買って出るなど何かと彼女の世話を焼いてくれます。

そんな彼女ですが、その素直さゆえに殊に入学式に遅刻した事実を容赦なく突きつけてしまうほか、友人の悪乗りに嬉々として付き合うなど人間味のある一面もあります。

六角 巴(むすみ ともえ)
❝いや だってさ高校生なんて青い春って言うくらいだぞ もう一年できるなんてむしろ楽しみじゃないか?❞
(引用/幌田.『またぞろ。』第1巻.芳文社.2021年.24頁)

男口調が特徴の殊の留年仲間のうちの一人。高校にしてプロの写真家として収入を得ており、仕事に注力するために早退や欠席を繰り返すうちに留年することになったと語られますが、友人たちの発言から留年した理由はそれだけではないことが示唆されています。

気取りのない性格で殊とは対照的に留年したことを気に病む様子は見られません。また、殊の不器用な有様を目の当たりにしてもそれが彼女にできる精一杯の行動であることを理解して一歩引いた位置から優しく諭すなど同年ながら達観しており、作中では姉的な立ち位置です。

一方で芸術家らしく自身の興味のあること以外に関心が薄く、友人との大切な約束を無下にしてしまうほか、食事に関しても非常に偏食で校内外問わず焼きそばばかり食べるなどの短所も目立ちます。

しかし、上記のような性格を含めてつかみどころのない気質が魅力を感じさせるのか前述の友人との関係も続いており、昨年度のクラスメイトからも人気を集めています。

阿野 楓(あの かえで)
❝巴さんに近づくためなら たとえ留年だろうと退学だろうと…❞
(引用/幌田.『またぞろ。』第1巻.芳文社.2021年.14頁)

殊たちのクラスメイト。これまで紹介してきた3人とは違い留年生ではないため彼女達より一つ年下ですが後述の理由もあり年齢の違う彼女たちと高校生活を共にします。

快活な性格で留年生である殊たちにも臆することなく話しかけるなどコミュニケーション能力の高さが伺える反面、非常にものぐさな性格で一学期から遅刻やテストでの赤点を繰り返す「留年予備軍」でもあります。

殊たち留年生3名の中で巴にのみ敬語を使い彼女とは高校入学以前からの知人であると本人は語りますが、当の本人である巴は楓のことを記憶していない様子。

しかし、実際には本当に出会っており、彼女が中学3年生であった頃、殊たちの通う高校の文化祭の見学中に迷子になった際に偶然すれ違った巴についていった結果、彼女の行きつけのカレー屋にて相席になり、そこで彼女の普通ではない不思議な魅力に惹かれて同じ高校に入学することを決心したという経緯があります。



こんな方にオススメ

有名なきらら作品は一通り触れており、一味違った展開を求める方
思うように事が進まない…そんな人生の「停滞期」にいる方

【キーワード】「日常」「高校生」「コメディ」「留年」「人生観」

本作品は、骨組みだけに注目すると「女子高生4人が送る学園コメディ」ときらら作品としては王道な構成ですが、その内3名が「留年生」と挑戦的なキャラクター設定が特徴です。

近年TVアニメ化された『ぼっち・ざ・ろっく!』(芳文社/著者:はまじあき)『星屑テレパス』(芳文社/著者:大熊らすこ)を始め、人間として弱みのあるキャラクター付けがなされることの多い昨今のきらら作品の主人公たち。

そんな主人公でも何か一つ秀でた一芸を持っているもので、その才能を軸に物語が展開されていくという構成はきらら作品に限らず多くの漫画作品で見受けられます。

そんな中、これといった取り柄もなく徹底して「弱い」部分が描かれる本作品の主人公像は斬新であり、発達障害などにも属さない所謂「グレーゾーン」な主人公の社会での生きづらさを「きらら」の世界観を壊さない程度の絶妙な力加減で生々しくも繊細に描いています。

留年という問題に真っ向から立ち向かうのではなく、時の流れと共に緩やかに過ぎ去る仲間たちとの日常を描いた本作品の物語は、同じような境遇の読み手に解決を急かすことなくこちらのペースに合わせて並走してくれるような心地良い感覚を抱かせます。

全3巻という揃えやすさも含めて是非読んでいただきたい作品です。



感想(ネタバレ含む)

”ただしくなくて、ただ、いとおしい” 厳しさと優しさの入り混じる生温かな日常

本作品は、殊の発言を始め世間一般の認識として留年とは本来好ましいものではないということを物語の根底に置きつつも、安直に「努力」などといった普遍的な正しさで状況の改善を迫るのではなく、漠然とした危機感を持ちながらも具体的な行動に移せず「ただしくない」状況下でもがき続ける殊の様子を生々しくもありのままに描写しています。

留年生という存在への現実的な「厳しさ」と、そんな彼女のありのままを尊重する「優しさ」を同時に感じられ、この正解を急がないどっちつかずな曖昧さは読者にどこか心地よい脱力感を感じさせます。

逆説的になりますがそもそも殊は心情的に「努力」という選択が取れなかったからこそ留年せざる負えなくなったのであり「努力すればよい」というのは少々無責任かつ結果論とも言え、そういった普遍的な正しさはかえって彼女を追い詰めることになりました。

巴の言うように「そういう次元じゃない」殊の作中での一年間はいわばマイナスの数値を0に戻す最中であったと言えます。

「頑張りたいのに頑張れない、思うようにいかない」そんな殊に「留年生なのだから無理をしてまで頑張る必要はない」と、どこか諦念を含んだ言葉を掛ける巴たち。

彼女たちの優しさを感じる名場面ですがその実態は決して健全とは言い難いのも事実です。一般論として留年している以上、周囲に追いつくためには人一倍努力する必要があるのは言うまでもありません。

しかし、そんな不器用な生き様に人間的な美しさを感じるのもまた事実であり、単行本第1巻の「ただしくなくて、ただ、いとおしい」というキャッチコピーは上記の相反する感情を簡潔に表した秀逸なものだったと思います。

「人間へたくそ青春コメディ」の名に偽りなし…徹底された殊のキャラクター性

終始一貫して「人間へたくそ」であり続けた殊。しかし、そんな彼女が主人公であったからこそ救えるものもあるのだと感じます。

物語終盤、半ば自暴的に留年を決心する楓を巴が留年される側の心情と自身にはまだ「努力」という選択肢が残っていることに気付かせることで踏みとどまらせる場面。

この期に及んでも殊は目の前の状況に動揺するばかりで、その後の彼女の再起を賭けた学期末試験までの日常でも目立った活躍は描かれませんでした。

巴の価値観の変化、楓の努力による再起、これまで人格者である詩季と比較すると殊の様な「人間へたくそ」側に位置していたはずの二人の躍進にある種の残酷さを感じたと同時に、物語が最終的に殊の「成長できたのか分からない」というモノローグによって締めくくられたことに安心感を覚えました。

彼女が最後まで「人間へたくそ」であり続けたことはこれまで述べてきたテーマ性を初志貫徹させ、彼女たちと同じような境遇にある読者を置き去りにしなかったという意味で大きな意義があり、彼女は本作品の主人公としてその役割を十分に果たしきったのだと感じます。



印象的な場面・台詞

❝現実もこんなだったらいいのになあ❞
(引用/幌田.『またぞろ。』第1巻.芳文社.2021年.24頁)

仕事から帰宅した殊たちの担任である竹屋桂花(たけや けいか)が缶ビールを片手に半額シールの貼られた弁当を食べながらアニメを視聴している最中に発した台詞。

視聴しているアニメは「女子高生と思われる少女4人が音楽に合わせてジャンプする」という既視感のある構図であり、「留年を危惧しながらもどこか楽し気なアニメ内の登場人物たち」と「実際に留年生を3人も抱え日々頭を悩ませる教員」の対比が哀愁を誘う迷場面です。

ステレオタイプなきらら作品を模した作品に他でもない「きらら作品」が上記の台詞を投げかけるのはなんとも皮肉が効いています



小ネタ・余談

まんがタイムきららキャラット11月号特別付録 独立創刊15周年記念小冊子 

本作品は、まんがタイムきららキャラット2020年11月号に付属した特別付録「独立創刊15周年記念小冊子 キャラットちゃん15歳」に収録されています。内容は殊たちが15歳の誕生日を迎えるキャラットちゃんを祝うというものでした。

最終話の構図について

本作品の最終話は扉絵や物語の展開の一部が第1話と同じ構図になっています。

第1話と対比させることで一年間を通じて殊たちは人間として成長できたのかという大部分の曖昧さを残しつつも確実に「一歩」前進したという希望を感じさせる最終話は本作品の締めくくりとして粋な演出であると感じました。

同じ構図でも著者である幌田氏の画風の変化も相まって殊たちが一回り大人びたような印象を受けます。

新人編集キャラットちゃん

本作品の著者である幌田氏は、2022年6月号をもって独立創刊200号を果たした『まんがタイムきららキャラット』を祝して誕生した「キャラットちゃん」のイラストを手掛けました。

彼女は200時間という限られた時間の中でX(旧Twitter)を拠点に広報係として当誌のPR活動を行いました。2023年11月11日現在でもアカウントは残っているため、興味のある方は覗いてみてはいかがでしょうか。

氏の「またぞろ」に登場する阿野楓に酷似しており、彼女のことを知っているか問われた際に「あの………あれ、誰だったかなー?」と返信するファンサービスも披露してくれました。



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最後に

今回の作品紹介はいかがだったでしょうか。

「こんな方にオススメ」の一例として「人生の停滞期にいる方」を挙げさせていただきましたが、この記事を執筆している私自身がほかならぬその「停滞期」にいるので執筆していて少々複雑な気持ちになりました(苦笑)

殊たちのように焦らずゆっくりいきたいところですが、世間はいつまで待ってくれるのでしょうか…

長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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